@article{oai:ouj.repo.nii.ac.jp:00007423, author = {渡邊, 二郎 and Watanabe, Jiro}, journal = {放送大学研究年報, Journal of the University of the Air}, month = {Mar}, note = {ニーチェ没後100年、その生と死を賭けた生涯と思想を顧みるとき、彼の主張を根本的に動かしていたものが、「生きる勇気を与える」思想の伝達にあったことが分かる。しかし、それは、ときに、あまりにも激しい、危険な要素を含む表現を取って現れた。  そうなったことの理由は、彼自身が、みずからのうちに、死にさらされた苦悩の体験を抱え込み、これを「勇気」をもって乗り越えようとしたところにあったと考えられる。実際、ニーチェにおける勇気の内実、すなわち、「これが、生きるということだったのか。よし、それならば、もう一度」という人生態度を考察し直すとき、そのことが明らかとなる。  この「勇気」の問題は、その背後に、これまで生きてきた人生の無駄や、憤懣やるかたない悔恨や、ペシミズムやニヒリズムの思いを深く秘めている。実際、『ツァラトゥストラ』の「幻影と謎」の章に出てくるこの「勇気」の箇所と関連するグロイター版全集収録の諸遺稿には、人生の無駄を嘆く表現が多発する。初期の著作である第二の『反時代的考察』「生にとっての歴史の利害」の冒頭を飾る「かくあった(Es war)」という過去の記憶に悩まされる人間のあり方も、グロイター版全集収録の準備草稿を吟味し直すとき、いっそうよくその悔恨と痛苦の意義が明らかとなる。この思想の延長線上に、『ツァラトゥストラ』の「救済」の章における「かくあった(Es war)」の超克という主題が出現する。そこに困苦を転換する運命の必然性が実る。そこには、過去の超克という時間論が関係するが、大切なのは、比喩に富む時間論に秘められた人間的経験の深さの理解である。これと関連する『ツァラトゥストラ』の幾つかの重要な箇所を改めて解釈し直すことによって、ニヒリズムを越えて、最大の重しに耐えながら、自己自身と成ってゆくという、ニーチェ的な「生きる勇気」の肯定面が、浮かび上がってくる。  さりながら、そこには、やはり過去の苦い記憶がまといつく。『道徳の系譜学』の第二論文を手懸かりとして、記憶が苦痛と関係するとニーチェが捉えていたことが、指摘されうる。ニーチェの自伝『この人を見よ』によっても、ニーチェが、いかにルサンチマン(怨恨感情)と闘い、健やかな自己自身と成ってゆくことを終生の課題としていたかが判明する。『道徳の系譜学』の過激な主張も、他律的な奴隷根性の道徳を越えて、自立した生き方に徹することの勧めにほかならないと解釈することができる。  こうして、最後に、「よし、それならば、もう一度」ということの意味が探り直される。この永遠回帰の肯定において問題なのは、「差異の反復」(ドゥルーズ)でも、同一の事柄の機械的反復でもなく、少しずつ違いながらも同様のことを、繰り返し、反復しながら、たえず自己自身を取り返しつつ、当の「同じ」自己自身へと徹底し、こうして自己自身と成ってゆくということのうちにあった。その意味で、『ツァラトゥストラ』の「墓の歌」に示されるように、初志を貫いてゆく意志の自己貫徹のうちに、ニーチェは、「生きる勇気」の内実を見たと言ってよい。ニーチェにおいては、「存在は無にされている」(ハイデッガー)のではなく、むしろ、自己の「存在の真実」を深く見つめる「思索」が完遂されたと言える。}, pages = {91--114}, title = {ニーチェ : 生きる勇気を与える思想}, volume = {18}, year = {2001}, yomi = {ワタナベ, ジロウ} }