@article{oai:ouj.repo.nii.ac.jp:00008694, author = {山田, 知子 and YAMADA, Tomoko}, journal = {放送大学研究年報, Journal of The Open University of Japan}, month = {Mar}, note = {本研究の目的は戦前の東京市方面委員制度の「社会性」の構造を明らかにすることである。それは当時の社会事業を読み解くことにつながる。我が国の方面委員制度はドイツのエルバフェルト制度をモデルに大正中期からスタートした。岡山の済世顧問制度、大阪の方面委員制度と並び早くから制度をスタートさせた東京市の方面委員制度は、とりわけ関東大震災後活躍し、大都市部の低所得層の生活改善のためにつくしたことで知られる。しかし、戦時体制に我が国が旋回するにしたがって大きく変質していった。方面委員たちはどのような人々であったのか、彼らは「社会性」をどのように捉え意識していたのか。昭和10年の資料をもとに東京市の方面委員の来歴を詳しく調査することで方面委員のキャラクターを明らかにした。その結果、地主や家主層とならんで、多くが自営業主層であったことが明らかになった。さらに、町会の役員を歴任し、また地域の青年団や防護団や在郷軍人会などに所属し、区議も兼任している者も多数いたことがわかった。行政の末端組織として自他ともにみとめる存在であったのである。大正デモクラシーによりきわめて強い「社会性」を期待されスタートした方面委員制度だが政治的保守構造を内包する制度であったのである。東京市の方面委員たちの来歴調査からみえてくる実像は、その「社会性」がきわめて脆弱で独自性に欠く存在であったことである。町会を基盤にしていたために政府が戦時体制へ転換するとその下部組織として一翼を担う存在にかわっていったのである。}, pages = {7--24}, title = {東京市方面委員の来歴からみるその「社会性」の構造 ─どのような人々であったのか─}, volume = {39}, year = {2022}, yomi = {ヤマダ, トモコ} }