@article{oai:ouj.repo.nii.ac.jp:00008698, author = {佐藤, 和夫 and SATO, Kazuo}, journal = {放送大学研究年報, Journal of The Open University of Japan}, month = {Mar}, note = {エーリヒ・ケストナーの後半生の起点はわかりやすい。年号で言えば1945年、月は5月である。つまり、ドイツ第三帝国が戦争の敗北を認めた5月8日と言い切っても差し支えない。というのも彼の前半生と後半生はナチスに作家としての存在を否定されたおよそ12年間の「執筆禁止」時代をはさんで截然と区別することができるからである。 もちろん、禁止された時代であっても刑務所に入れられたわけではない。逮捕や預金封鎖をされるなど嫌がらせのような仕打ちを受けはしたものの、「ふつうの」市民生活を送っていたし、偽名を巧みに使い分け、隠れた作家活動を行ってもいた。あまりに単純化することはできないにしても、前半と後半を分ける明白な目印にはなる。本論ではこの観点からケストナーの後半生を論じることにする。そしてこの時期の特徴的な作品である二つの「小人」の物語に焦点を当てて分析を行う。  ケストナーにとっての戦後は避難先のオーストリア・チロル地方から始まるが、作家としての活動はミュンヘンが拠点となった。本来戻るべきベルリンは彼の嫌うソ連邦の占領下にあり、選択肢とはならなかった。加えてケストナーにはアメリカ軍占領当局から有利な仕事の提供があったことから、その占領地区の中心であるミュンヘンが仕事の場となった。そしてそこから彼の精力的な活動が再開され、西ドイツの文壇の統合にも貢献した。もちろん公的な場だけでなく、私的生活でも精勤ぶりを発揮している。以下においてはそのことにも触れつつ、彼の後半生についてまとめることとする。}, pages = {67--76}, title = {エーリヒ・ケストナーの後半生と「小人」の物語}, volume = {39}, year = {2022}, yomi = {サトウ, カズオ} }